最新の科学によって証明さえできる「空」を悟ったお釈迦様。
そのお釈迦様の「壁」はどんなもので、
どのように「壁」を乗り越えたのでしょうか。
お釈迦様が出家することを中心に、
物語を書きましたので、読んでみてください。
お釈迦様は、シャカ国の王子としてこの世に生まれました。
ガウタマ・シッダールタと名付けられ、
ガウダマの母マーヤーは、ガウダマを生んで7日後に死んでしまいます。
その後は、母マーヤーの妹に育てられます。
ガウダマは王位後継者として、専用宮殿、贅沢な衣服、世話係、教師などを与えられ、
教養と体力を身につけ、16歳で結婚しました。
王宮は、高い塀で囲われ、その中は全てがコントロールされた「都市」であり、
塀の外側は市民が住む「自然」の世界でした。
この王宮の塀は「壁」ともいえるもので、
その塀の内側と外側には絶対的な格差があったことは想像にかたくありません。
そのため、いくら聡明なガウダマであっても、
塀の外側にある風景を見ることはできても、
そこに生活する民の心の苦悩までを知るには時間が必要でした。
ガウダマ17歳のある時、
東門から出る時老人に会い、
南門より出る時病人に会い、
西門を出る時死者に会いました。
「この身には老い、病、死という三苦があり、
三苦を知ることで生の苦しみという四苦がある」ことを知ります。
そして、北門から出た時に一人の沙門(僧)に出会い、
出家の意志を持つようになりました。
長男のラーフラが生まれた後のある夜半に、
かねてよりの念願の出家を果たしました。
ときにガウダマ29歳。
そして、35歳で「空」を悟ります。
以上がお釈迦様となるガウダマの出家までの伝承物語です。
・王位継承者としての恵まれた境遇
・長男ラーフラがうまれたばかり(出家により王家の血脈を絶やさないという配慮と思う)
ガウダマが出家するということは、
世話係付きの宮殿での欲しいものが何でもできる生活から、
たとえ何であっても与えられたものを感謝していただく托鉢(たくはつ)の状況になることです。
出家する際には、財産になるような私有物を持つことを禁じられており、
最低限の私物しか持つことができません。
その最低限の私物とは
・衣:使い道がなくなるほど使われたボロ布を張り合わせて作った衣糞掃衣(ふんぞうえ)2着
・食:托鉢用の鉢1つ
・楊枝:現代の歯ブラシ1本
ガウダマは、この条件を受け入れ、出家を果たしたのです。
この壁ブロの他の記事で、
「なぜ壁が生じ、越えようとするのか」について、
「壁の向こうにある理想のために壁を越える」と書きました。
現在の一般的な価値観からすると、
安定、安心、豊かさを向上させることが理想とされると思いますが、
その価値観からすると、ガウダマの「理想」は、
現代人にとっては想像すら難しいものと感じられるのではないでしょうか。
この記事は、ブッダはすごい!ということを言うために書いているのではありません。
「壁」の向こう側にある理想は人それぞれであること。
そして、
一人その理想に向かおうとするガウダマは、
たんに自分の欲求だけで壁を越えただけではなく、
市中の民を四苦から救うという志があったに違いありません。
出家によりガウダマは一人の僧とはなりましたが、
その志から、「シャカ国の民を想う本当の王」であったと言えると思います。
自分の欲や都合だけではぶっ飛ばせない壁であっても、
他の者、社会をよりよくするという大義が備わったときに、
とてつもないパワーを発揮することができる。
「私もこんなふうに生きよう」などとは思わないとは思いますが、
このガウダマが出家したときのストーリーから、
私たちが壁を越えるための知恵とパワーを学ぶことができます。
自分の壁を見つめるとき、
私たちは自分の内側だけに注意がいきがちになることもあるでしょう。
そんな時は少し視線を上げ、
自分の外側にも意識を向けてみましょう。
※筆者の宗教観について
シャカは教団を持つことを、弟子に禁止していたと言われています。シャカのその思想に共感しておりますが、いわゆる大乗仏教の理念、役割、功績を認めています。ちなみにわが家は古くから曹洞宗の檀家となっていますが、葬式仏教の域を出ていません。