「才能なんかどうでもいい」
いつからか、本気でそう思っていました。
そして、仕事をして、多くの人と接して学び、考え・・・
今ではこのことに確信を持っています。
「この才能を活かして仕事をしたい」
「才能がないけど、この仕事をしたい」
どちらもアリだと思います。
もちろん、「才能」と「やりたいこと」が一致していることに越したことはないでしょう。
その才能によって、若くして一気にスーパースターになる可能性だってあるでしょう。
しかし・・・才能の高さによって成果が約束されているわけではありません。
成果が出てはじめて、「あの人には才能があった」と「あと出しジャンケン」的に認められるものだと思うのです。
また、才能というと多くの場合は、その人に備わった「一つの」才能のことを言います。
しかし、生身の私たちのなかにある才能は、家族、友人、学校の先生などの周囲の人がかんたんに見出せるものでしょうか。
まして、オリジナルな才能であればあるほど、周囲の人たちのセンサーでは感知できません。
その周囲の人の評価基準もまた、その評価者の過去の経験、考えに根ざしており、
本人の未来の人生における成果(「本人」のビジョン、ゴール設定による)を保証するものではありません。
・この子には「音感」があるからピアノを
・オレが野球選手だったから、この子にもセンスがあるはずだから、将来はプロに・・・
これらは、一つのものに打ち込むという体験としては否定するものではありませんが、
周囲の偏った視点による「才能」の見出され方が、
子供の将来の職業までを規定してしまうケースでしょう。
また、才能とは少し違いますが、「経験」も同様に作用します。
・リ社で事業企画をしていた経験を生かし、その分野で起業する
・ずっと○○畑で働いてきたので、また○○部門の職を探す
このように、才能も経験も過去に見出されたものです。
何をしたいのか?
どう生きたいのか?
何をめざすのか?
これらの質問によって、「未来の成果」と自分のなかにある「才能」が初めて発見され、結びつき、動き出します。
欲しい「未来の成果」は自分で見出す。
そのために、周囲の人のお話しは「参考」とする。
たとえ何歳であっても、どんな状況でも、つねにこの問いを繰り返すことで、
本当のビジョンと自分のなかの才能が結合され、
ビジョンに向けた行動が発動するきっかけとなることでしょう。